オーシャンクラブの食卓(2003年)

バナー:食卓のタイトル画像

曇っている。時折雨もぱらつく。広い駐車場に車が滑り込んできた。「こんにちは」「おまたせ」車から出てきた家族は、サイパンの澄み渡った空のような笑顔を浮かべながら近づいてきた。「どうも、先日は・・・」カシラである。「いや~、な~に?ネクタイなんか締めちゃってどうしたんですか?」と女将。「へんなかっこう!」コガシラだ。私はスーツ姿なのだが、仕事帰りなので仕方がない。

画像:どんぶり

そう、ここはサイパンではない。岐阜県土岐市。美濃焼きのメッカだ。美濃焼きといえば「黄瀬戸、志野、織部、御深井(おふけ)」などに代表される陶器である。待ち合わせたところは「どんぶり会館」。土岐市の産業を象徴するところだ。関東の人間は特に「お茶碗」や「どんぶり」といった陶器を「せともの」と言ってひとくくりにしてしまっているが、実はこの岐阜県土岐市こそが日本一の生産地なのである。

私は焼き物が好きで、安物ばかりだが、多少集めている。焼き物を求めてあちこちに旅をすることもあったのだが、ここのところダイビング三昧で焼き物探訪からは遠ざかっていた。今回たまたま仕事で岐阜に来ることになったのだが、そういえば女将の実家が岐阜であった。それも陶器の卸やさんで、東京のカッパ橋などに多くの器を卸している。そして女将は、現在夏休み中のコガシラと一緒に里帰りをしているはずだ。<BR>
  事前に連絡を取ってみると、なんとカシラまでもがこの日岐阜に到着するという。好きな焼き物が見れて、好きなカシラ一家とも再会できる。このようなチャンスを逃すわけにはいかない。

画像:大皿

そういうわけで、「どんぶり会館」での待ち合わせとあいなったのだった。定休日だった「どんぶり会館」に悪態をつきながら2台の車は女将の実家へと向かった。途中、御嶽山を始めとする日本アルプスの山々が見渡せるという、風光明媚な場所へ案内してもらったのだが、あいにくの曇りで透視度が悪く、次回に期待することになった。車は小さな起伏を徐々に進み、陶器の町へと登っていった。田舎である。空気がおいしい。セミが鳴いている。古い、陶器のお店が立ち並ぶ。お店といっても小売をしているわけではない。周辺の窯元から集まった品物を東京に卸すのであろう。お店の中には縛った陶器が積んである。

画像:キリンの柄の皿

そのようなお店のうちの一軒に、私は案内された。玄関先から2つ、にこやかな顔が出てきて私を迎えてくれた。女将のご両親である。古いが大きな家の客間に通された私は、とりあえず女将の父上手作りのトマトをほおばり、ビールを片手に部屋の中を見渡した。見たこともないような手法で作られた磁器が置いてある。決して派手なものではないが、掛かっている絵の良さは、素人の私にもわかる。それら落ち着いた調度の品々が、部屋とその外に続く小さな庭によくマッチしている。

画像:七輪コンロ

庭で小さな宴の席が準備され始めた。私も手伝う。縁台をテーブル代わりに、折椅子で囲む。女将と母上がくるくると働き、ご馳走が並び始めた。ガーデニングプランターの盆栽や草花に混じって、山椒やオオバが葉を茂らせている。女将がそのオオバを数枚摘み、台所に入っていく。
数時間前にサイパンから帰国したばかりのカシラは、山の中では、まるで陸(おか)に上がった河童だ。呼吸器もなくアシヒレない。これではどうしようもない。

画像:サザエの壺焼き

しかし、七輪やコンロ、薪や炭が用意され始めると水を得た魚。いや、火を得た焚き火人である。いつものように、手馴れた仕草でコガシラと火を熾す。ご馳走が並び炭が熾きた。さあ宴会の始まりだ。夕刻を告げるヒグラシの声が山々に響く。まずはビールで乾杯。大アサリやサザエがコンロの上で煮立っている。はふはふと口に運びビールでごくりと飲み下す。枝豆、豆の胡麻和え、朝採りのトマトやキュウリは無農薬で新鮮そのもの。それらすべてが美濃のすばらしい器に盛られ、おいしさを増している。東京で言う「ホルモン」よりもまったりとした味の「トンチャン」は、食卓の主役を主張しているが、なんといってもメインは「鮎」。

画像:陶器の水筒

ひとしきり舌鼓を打った後、珍しい物を見せていただいた。陶器で出来た水筒だ。昭和16年、隣町で作られたもので、第2次世界大戦で金物が全て国に供出となり、金物の水筒の代わりに作られたものだという。蓋にはネジが切ってあり小学校の桜のマークがついている。とてもよく出来た物だ。お湯を入れ布でくるめば湯たんぽ代わりにもなり、冷めにくい。お父上が東京の陶器店の倉庫で見つけ、いらないというので引き上げた。これを作った窯元にもかけらくらいしか残っておらず、珍しいので土岐市の教育委員会にも寄付をしたそうだ。(話に聞けば最近は陶器の湯たんぽが際注目されているようである)。

今朝、お父上が友釣りでだいじに釣り上げた鮎の天然物を串に刺し、塩でもみ、頃合をはかってコンロに刺した。焦げ付かず、いい具合に焼けた鮎。串からはずさず、そのまま横からかぶりつく。よく、鮎はスイカの匂いがするというが、新鮮な山の鮎はスイカを感じさせない。はらわたはほろ苦く、甘く、口に残る2,3の小石は、水底(みなぞこ)の岩のコケを食べている証である。地元産の酒はフルーティーで、塩焼きの鮎とよく合う。今年は長雨で水かさが増し、鮎を釣るのに難儀だと聞く。一口一口に感謝を込めながら鮎を噛んだ。

今朝、お父上が友釣りでだいじに釣り上げた鮎の天然物を串に刺し、塩でもみ、頃合をはかってコンロに刺した。焦げ付かず、いい具合に焼けた鮎。串からはずさず、そのまま横からかぶりつく。よく、鮎はスイカの匂いがするというが、新鮮な山の鮎はスイカを感じさせない。はらわたはほろ苦く、甘く、口に残る2,3の小石は、水底(みなぞこ)の岩のコケを食べている証である。地元産の酒はフルーティーで、塩焼きの鮎とよく合う。今年は長雨で水かさが増し、鮎を釣るのに難儀だと聞く。一口一口に感謝を込めながら鮎を噛んだ。

翌日、爽やかに目覚めた朝、朝食をご馳走になり、ご両親に案内され、出荷を待つ陶器の眠る倉庫へと入った。積み上がっている陶器たちは、どれも親しみ深い物ばかり。家にもありそうなもの。飲食店で出て来そうな物。しかし、皆ご両親が目利きで集めた、個性があってすばらしい器ばかりだ。芸術家が作るような高価な器はない。使いやすいように工夫された物。時代を真っ直ぐに反映した物。昔から変わらない柄のもの。そのいずれもが食することを基本に置き、のせる料理が美味しそうに見映えるよう、扱いやすいように作られている。陶器は絵付けのあるものが多いが、そのほとんどは手描きだそうだ。同じ器でも少しずつ絵が違う。まるで海の中のようだ。

この水筒にはいわくがあり、引き上げた陶器店は戦災にも焼けなかったのだが、この水筒を手放したとたん火事に遭ってしまったそうだ。要するにこれは火事のお守りだそうだ。当時は水筒だけではなく、洋服のボタンまで陶器で作られていたそうで、実際に流通はしなかったのだが、瀬戸では貨幣も陶器で作られたそうだ。夜も更け、場所を居間に移しはしたが、お父上やお母上と陶器の話に盛り上がり、そのやさしい人柄に触れるにつけて、オーシャンクラブの、クラブハウスのあの雰囲気が、カシラと女将で作るサイパンの地の日本の雰囲気の原点が、ここにあることを実感した。 さぁ、またサイパンのオーシャンクラブへ行こう!水筒はいらないかな?

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