すごいところ・・・未だ実らず
昨年11月の終わりに、ゴールデンブルービーチに潜ったのは記憶に新しいところである。車が1台やっと通れる林の道。林といっても木の太さは3cmから10cm、高さ5メートルくらいの木々がまさしく林立している。ゴールデンブルービーチはその道を抜けたところにあった。 前回のレポートで、そのときにカシラが、何やらすごいところを見つけたようだと書いた。今回はそこへ行こうというのだ。
メンバーはカシラとひょっとこの2人である。股旅レポートにもあったが、ゴールデンブルービーチから先へ、車で入れるぎりぎりのところまで進み、そこから徒歩で獣道を5分ほど進むと、ナフタン岬の先端あたりに出る。我々が向かったのは、獣道を120メートルほど歩いてナフタン岬のほうへ向かうのとは逆の道、つまり陸側へ進んだのである。
タンクは7リットル、重さ約9kg。暑さによる体力の消耗を防ぐため、ツーピースの上着を腰に巻きつけ慎重に進んだ。林の斜面を下ると10メートルほどの崖に突き当たる。崖に沿って歩く。ゴミが散乱しているが、空き瓶や缶などの生活感のないゴミばかりだ。そびえ立つ崖を左手に仰ぎながら少し歩くと、ちょっとした広場に出た。 前回下見に来たときは、調査のためか、「US GOVERNMENT」と書かれた蛇の罠が崖の所々に仕掛けられていたが、今は跡形もなく撤収されている。
BCを背負う肩と腰が痛み出してきた。崖は相変わらず続いているが、道が行き止まった。カシラは無言で行き止まりの岩を登り始めた。足元の小岩が動く。踏み外した岩がガラガと音を立てて落ちていく。足場の安定が悪いのは、崖から剥離して落ちた岩が落ちたままの状態であるということ。要するに人が入っていないということだ。崖を見上げると、明らかに岩が剥離した跡があり、下には落ちたばかりの岩が転がっている。
我々は、まさしくその崖に左手をつきながら進んでいるのである。余計なことを考えると引き返したくなるので、何も考えずに、ただただ歩くことにした。 ここから先にはゴミも落ちていない。広場の突き当たりの岩を越えると、一気に視界が開け、潮風が頬を撫でた。左右が崖になっており、その幅は約10メートル。
崖と崖の間の岩場を歩く。軍手はしているのだが、知らぬ間に腕に傷がついている。 海が見えた。もうすぐだ。
車からここまで約23分。そこから海面まで約5分かかったのだが、その5分が大変だった。その歩きにくさは、スポットライトをビーチエントリーしたときの比ではない。ゴツゴツした岩。なおかつそれがグラグラと動くのである。一歩一歩、足元を確かめながら慎重に歩を進める。水分は十分に取ってきたのだが、ここまでの道行きで汗となってすっかり流れ出てしまった。 大岩を回り込むと下に降りられそうなところがあった。とりあえず岩のくぼみに機材を置いて降りてみる。サイパンの春の日差しが、ジリジリと照りつけている。そこは波に洗われる棚となっており、海藻が多くついていることから、干上がる時間の短いことが推し量れた。海に向かって突き出しているその棚の先端まで行き、海面を見下ろす。合わさる波で渦が出来ている。棚の先端から見て両脇は入り江になっていた。
入り江といっても砂浜はなく、断崖と岩で形成された入り江である。沖のうねりが断崖に打ちつけられ、音を立てて砕ける。とても両サイドの入り江からはエントリーできない。いや、入り江に行くことすら出来そうもない。狭い棚のあちらこちらを、丹念に散策しながらエントリー、エキジットの場所を探す。手分けをして見ても、一緒に見ても、結局は棚の先端に目が留まる。
入れるとすれば、ここですね」カシラが淡々と言う。「入れるとすれば・・・・・」私が復唱する。 左右両側の入り江から集まった波は、この先端でぶつかる。当然、拮抗する流れは渦を作る。渦のベクトルは常に下方、つまり海中、そして外洋に向かう。棚から海面までは50センチから1メートルといったところだ。エントリーはさほど難しいものではない。しかし安全にエキジットをするとなると、結果を推測することが出来ない。スポットライトから岩場をエキジットをしたときは、波のベクトルが1方向であった。しかし、渦を巻いているとなると条件はまったく違ってくる。どのような事態が待っているのか、全然予想がつかない。暫く渦を見つめながら、沈黙の時が流れた。
いつもであれば、カシラがここで 「どうしますか?」 と私に尋ねる場面なのだが、今回は違っていた。 「・・・やめましょう」 ほぼ同時に口をついた言葉に、お互いが心でうなづいた。 そそくさと身支度を整え、無言で帰路につく。途中の岩場でバランスをくずし転んだ私は、小さな傷をひとつ増やした。右手の崖は、相変わらずそびえたっている。今にも崩れ落ちそうな岩が崖の上に見える。子供のころ、暗くて恐いところから逃げ出すとき、明るくて安全なところへ出る瞬間が一番恐かったのを思い出す。まさにそのような気持ちではあったのだが、足場が悪く走るわけにもいかず、あせる気持ちを抑えながら蛇の罠の広場に出た。ここから林を抜けると車のあるところに出るはずだ。
ひたすら歩いた。タンクのエアーはまったく使っていない。つまり、来たときと同じ重さを背負っての帰路となる。しかし、その重さは来たときの倍にも感じられた。気が付くとあたりの風景が妙な具合である。林が密になり、進むのが困難になってきた。木々の間が狭くなり、切り開きながらでないと先に進めなくなってきている。迷ってしまった。コンパスを見る。陸上で水中コンパスを使うとは。方向は間違えていないのだが、距離感をなくしてしまったようだ。あたりを見渡すがどこも同じような木々で覆い尽くされ、自分の位置が確認できない。暑さと不安で体力が通常以上に消耗する。もたもたしていれば日が暮れる。日が暮れれば危険は増すのだ。落ち着くためにとりあえずタンクを下ろすことにした。 タンクを下ろして気がついた。私のマスクとスノーケルがない。どこで落としたのであろう。こんなときに。私は唇を噛んだ。カシラを残して、来た道を駆け降り探しにいったが、あまり奥まで行けばまた迷う。途中であきらめ、カシラの元へ戻った。私が探している間に、カシラは帰路の方向を確認していた。
やっと林を抜けた。 車に戻った我々は、とりあえず水分を補給し、一息ついた。帰り道は、行きの倍近く時間がかかったように思えた。車を出たのが3時31分。車に戻ったのが4時30分。長い1時間であった。二人ともダイビングの格好はしているのだが、葉っぱだらけの泥だらけだ。 カシラの勧めで、なくしたマスクを探しに行くことになった。今度は軽装で、道を確認しながらの探索行。カシラがスノーケルを見つけ、続いてマスクを見つけてくれた。どうやらフィンに付けていたマスクのストラップが外れてしまい、落ちたらしい。 「あのまま諦めてしまっても良かったのですが、諦めてしまえば今日一日がつまらないものになってしまうと思いましたから」帰りの車でカシラが言った。まったくその通りだ。諦めなくて良かったと思う。
「次は鉈を用意する必要がありますね」 「そうそう、それからあれも・・・・」 「いや時間的にはこの時間帯が・・・」 「天候と潮のかげんを正確に読んで・・・」 車内での会話は続いたが、その裏側に「この手の冒険はもうやめよう・・・」という言葉が隠されていたことは否めない。 今回は、「ひょっとこレポート」始まって以来の失敗に終わってしまった。完全な敗北である。次々と新たな冒険を求めてきた我々だが、この「すごいところ」に関しては、自然の脅威におののき、人の小ささ、自然に対する考えの甘さを思い知らされたのだ。 「すごいところ」 我々にとって、過ぎたる挑戦であったのだろうか。