コンセプション
  サイパンに上陸してから、ずっと風が強い。北風だ。冬は仕方がないとはいえ、朝起きるとクラブハウスの窓から祈るようにして外を見る。木立が騒いでいる。気温27度。海に出ないのであれば「好い風だ」と目を細めるところだ。   2日前にサイパンに上陸した私とシャチョーは、到着早々ラウラウにエントリーした。ラウラウでの慣らし潜水の最中に、カシラがとても綺麗な貝を見つけてくれた。ジャノメダカラだ。殻長8cmくらいのその貝は、薄茶色で蛇の目模様が散りばめられている、とても綺麗な貝だ。 エキジット後、貝の話で盛り上がっていると、カシラが唐突に話し始めた。「実は今回お引き合わせしたい方がいるんです」その人はサイパンのある会社の偉い方で、根っからの貝好きだということだ。何を隠そう、私も大の貝好きである。早速カシラにコンタクトを取ってもらい、お会いすることとなった。

サクライダカラ
サイパン2日目の昼時に、弁当持参で貝好きなD氏の会社に出向いた我々は、挨拶も程々に早速コレクションを見せてもらった。背の高いダンディーなD氏の見せるそのコレクションたちは、それはそれはすばらしい物であった。

画像:クロホシマリアナダカラクロホシマリアナダカラ
ホシダカラや、キッコウダカラなどのサイパンではポピュラーな物から、クロホシマリアナダカラやサクライダカラ等の超レア物まで、その数は100に近い。しかしそれはほんの一部。それも、D氏の息子の物だと言う。親の代から3代続いているという貝コレクターファミリーに、貝好きな私もすっかり恐れ入ってしまった。ひとしきりの貝談義のあと、やっと一息ついた。

画像:ツールボックスサンドイッチをほおばっていると、カシラがなにやらD氏と打ち合わせをしている。「明日の夜、Dさんが貝のポイントに連れて行ってくれるそうですが、行きますか?」行くに決まっている。そこは、コンセプションという名の船が沈んでいる海域に近いところだそうだ。次の日私は、朝からそわそわしていた。ラウラウ東、ディンプル、マニャガハ北と潜り、夕方から準備をはじめた。ライトも持った。カメラも持った。タンクは「ゴールデンブルービーチ」で使った4リットルタンク。
マスクとフィンは当然だが、大きなライト2本、貝殻用に改良されたプラスティックのボックス。貝殻を挟んで採るための「ヤス」まで用意している。

キッコウダカラ
4リットルタンクを担いだ我々は、はやる気持ちを押さえながら、海への坂を降りていった。そこは意外と広い浜であった。しかし、浜といってもオブジャンビーチのような砂浜という感じではなく、奥行きのないゴロタの浜だ。遠目には落ち着いているように見えた海も、近くによって見ると、砕波の音と共に砕ける巻き波に小さな岩が洗われている。「普通、下見潜水もなしに、こんなところでナイトダイビングはしませんよね」カシラがつぶやく。「ザザーン」波が巻いている。我々は、足を踏ん張りタイミングを計り、波が砕ける前に一気にエントリーした。20時03分。   波の砕ける音が消え、暗黒の世界が広がった。水中ライトの明りだけが頼りである。上からライトが照らされている。どうやらD氏は水面を移動しているようだ。我々は岩の亀裂から、水深5メートルの水底へ降りる。激しいサージで体が振られる。岩壁には、いかにも貝が張り付いていそうな穴がいくつも見られた。大きなサージにマスクが外れた。慌てて捕まえかぶり直す。危機一髪。ナイトダイビングでマスクをロストすれば、悲惨な結果が待っている。気を取り直し、丹念に貝の着いていそうな岩を探す。   

タガヤサンミナシ
集中していた。背後から二つのライトが私にサインを送っている。しまった。D氏のライトの位置は確認しながら進んでいたのだが、あまりの興奮に後の二人を見失っていた。カシラは、落し物をしたぞ、と私に合図した。落ち着きを取り戻し、カシラの後についていく。カシラは深場方向に進んで行った。 途中のゴロタでキッコウダカラを見つけ写真に収める。昼間は岩陰に隠れている貝たちも、夜になると表に出てくるようだ。少し離れた場所からカシラがサインを送ってきた。行ってみると、そこには生きたタガヤサンミナシが動いていた。生きているのを見たのは初めてだ。タガヤサンミナシはイモガイ科の貝で、テント班のあるとても綺麗な貝だが、歯舌の針に毒がありこれを打ち込み捕食する。主に巻貝を食べているようだが、人間が刺されて死亡した例もあり、危険な貝だ。イモガイ科は細長く、一見身が入ってないように見えることから「~ミナシ(身無し)」と呼ばれる種類も多い。この手の貝を見つけたら、たとえ生きていないように見えても近づかないほうが無難である。とりあえず写真を撮り、深場へ移動する。

魚たちの多くは皆、岩の窪みで寝ていた。ウニとエビと貝の世界である。水深14.1mまで進んだところで引き返した。D氏のスタイルは、水面から貝を探し、見つけたところで潜行する。タガヤサンミナシはD氏が見つけて教えてくれたそうだが、水面から下を照らしただけで、よく小さな貝を見つけられるものだ。そういう眼を持っていなければ、あそこまですばらしいコレクションは集まらないだろう。

エアーの残量が少なくなってきたところでゆっくりとエキジットに向かう。エキジット間際のサージの強い中D氏に見せてもらったキッコウダカラは、とても綺麗な物だったのだが、その後が大変だった。巻き波は一向に治まっていないのである。浅い砕波帯で膝を付き、顔を上げ立ち上がろうとすれば後ろから波に巻かれて転がる。フィンを脱ぐのもままならない。シャチョーが2つばかりの擦り傷を作りながら、それでも何とか無事エキジットした。

20時33分。
30分間のダイビングであった。浜でD氏が、先ほど見た貝殻について説明してくれた。今日は貝があまりいなかったと言うのだが、我々には十分だった。車に帰るまでの道行は上り坂だ。D氏とシャチョーはどんどん登って行く。とても元気だ。カシラと私が遅れたのは疲れではなく、足の長さの問題だ。皆、いたって元気である。
着替えを済ませた我々は、再会を約束して、貝ナイトを終えた。D氏が別れ際に一言付け加えた。「このそばに、もっと良い貝のポイントがあるのだが、行ってみるか?」もちろん行くに決まっている。だが、今日ではない。もっと海況の良いときに、下準備を万端にして、じっくりと潜ってみたいものだ。 Thank you very much, Mr,D. See you next shell time!